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ありがとう“あまびき”



 15年間、家族会の活動の拠点となっていた福祉センター“あまびき”が老朽化のために取り壊しとなりました。
 これまでに、述べ人数で1万5千人の方の参加がありました。泣いて、笑って、感動してどれだけ自分の回復に役だった事か。

 今回、3名の方から家族会、あまびきにまつわる思い出を寄稿していただきましたので、あまびきの写真などと一緒にあまびきでの思い出を振り返ります。

2010年9月25日


  



茨城ダルク家族会

 家族会は1995年6月茨城ダルク家族会として発足し、当初5人で始まり「あまびき福祉センター」に定着するまでに1年位は、空いている施設を転々としようやくあまびきに定着することができ、15年間やることができました。
 この度、あまびきが取り壊しになるために、場所を変えることになりました。
当初は、家族も少なく細々とやっていました。私が家族会を始める原因になったのは、ダルクの入寮者が3カ月のクリーンができた時に、家族のもとに帰すと、すぐに使って戻ってくることに理解ができず、苦しんでいるときに、東京ダルクで家族会が行われている事を知り、勉強をする中で、山野先生と知り合う事が出来、先生に大阪から通っていただき、家族会というものがなんであるかをみんなで勉強する機会を得るようになりました。少しずつ相談者も増え、家族会らしくなっていきました。初めから茨城は田舎のため、泊まりで始まりました。みんなで泊まり、夜は楽しく過ごすのが家族会であると思い進めてきました。
 家族会を初めて3年位経った時に、教会からお客様がみえたのです。お客様はカトリック教会イエスマリア聖神会の総長で、ローマから茨城ダルクにやって来ました。その時、神が私に与えてくれたものは、3つの宝物でした。
1つ目は、お金の問題でした。これはローマから小切手で100万円の献金をいただきました。2つ目は、ヨーロッパの薬物の話の出来る人を日本に呼んでもらいたいとお願いしたら、スペインのプロジェクト・オンブレという施設の施設長を日本に派遣してくれました。水戸で講演していただき、本当に海外ではこんなことが行われているのかと思いました。びっくりした次第です。3つ目は、研修にスペインに行かせて欲しいと言いました。受け入れてもらいましたが、行くときのお金がなく、水戸で更生保護女性会の講演で私がスペインに行くお金のお願いをすると、皆さんが気持ちよく献金を集めて頂き、金額32万2千円が集まり、「これで、スペインに行って研修し良いものを持って帰って欲しいと言っていただきました。スペインに行って家族会の勉強をし、もって帰り今の茨城家族会の原型が出来上がりました。
【カウンセリングルーム 動画】 5分41秒 / 中央をクリックすると再生します!
 その当時、家族が10人位、私が家族にスペインで学んだことを実践させてほしいとお願いし、間違っていればすぐにやめることを提案し始まりました。そして、3年位で20〜30人位になり、仲間たちも施設に定着してくれるようになりました。それは、今の親離れ、子離れの“突き放し”を伝え、家族がそれを実践し行動を起こしてくれたことによる結果だと思っております。
 そしてそれが、15年になり、今茨城ダルク家族会があるのが現実であります。第1回家族会フォーラムは、1999年9月に開催に至っております。2回は2000年3月に開催しております。それから沢山の人が家族会を訪れて、2004年6月に全国薬物依存症者家族連合会をあまびきにてスタートしました。各家族会が自立していく中で、世の中に必要なものと認識されるようになって現在があります。
岩井 喜代仁








あまびきの思い出

 平成9年5月、本人がダルクにつながってから平成22年8月まで13年間のうち、主人の介護で途中4年位不参加でしたが、合計9年位毎日通い続けました。
 最初はステップの意味もわからないでの参加でしたが、とにかく本人の薬物を止めさせるには家族会につながっていれば回復(当時は治る)すると思い、自分の共依存の勉強の為とは思わず通い続けました。
 半年くらい通ううちに、自分の為にという事を繰り返し岩井さん、渡邊厚司さん、先ゆく仲間たちの助言により、やっと本人に対して無力であると認められるようになりました。
 家にいても主人との会話は本人の事に関しての終わりのない堂々巡りの日常だったので、最初は気分転換のつもりであったと思います。
 主婦にとって上膳、据膳の夕食をすませ大きなお風呂にゆっくりとつかり、湯上がりに仲間とビールを飲みながら、夜遅くまで日頃思っている事を話したりしていると、やがて本人以外の家族や自分の幸せについて考えられるようになりました。
 あまびき観音の御参りにはいつも本人の事だけ祈っていましたが、家族の健康についてお祈りするようになっていました。
 初めの二三年は本人もスリップを繰り返し、初めて聞いた時には絶望という気持ちしかわかなかったのを覚えています。
 渡邊厚司さんに「順調に回復されてますね」という言葉を頂いたら、急に気が楽になり、本人のスリップを聞いても動揺することもなくなり、本当の意味の無力なれたように思います。
 不思議なもので、家族が自分たちの幸せを優先して考えるようになった頃から本人のスリップも止まったようです。仕送りもなくなり、仙台ダルクのスタッフをしていた時にびわこ施設長のお話しがありました。
 岩井さん初め、最初は大丈夫かなと思っていましたが、あれから7年、11月は8周年を迎えるとの事、よく言われる一生の病気ですから将来の事はわかりませんが、今は相談相手が親以外の数多くの人達に囲まれ、親としてこれ程の安心はありません。
 そのような訳で、私にとって「あまびき」は心身の癒しと心の成長につながった大切な場所です。
 毎日おいしいお刺身をありがとうございました。じゃがいもは「北あかり」が一番おいしいとわかったのも料理長さんに聞きました。朝、地場野菜を買って帰ったのもなつかしい思い出になるでしょう。
 「あまびき」でお世話になったスタッフの皆さん、本当にありがとうございました。
猪瀬淳子








「福祉センターあまびき」家族会に寄せて…

 はじめて、福祉センターあまびきを訪れたのは、今から11年前になります。
 薬物依存症の息子を抱えてどうしたら助けられるか、無我夢中でした。藁にもすがる思い…とはこういうことだろうと今 振り返り思います。
 当時、新潟からは,車で関越道 群馬県高崎まで120分〜国道50号で岩瀬まで180分。途中昼食をとり、あまびきまでは6時間かかりました。
 岩瀬からは、山裾に沿って走り途中から細道を曲がり急な上りの山道に入り、「本当にここでいいの?」と心配になり主人に聞く。「上り口に看板が出ていたろ、藤岡アパリに似ているなぁ〜」こんな会話をしながら上りきると、びっくり!りっぱな雨引き観音。駐車場に入り「福祉センターあまびき」の看板を見てホッとした。
 ごった返す玄関での受付を済ませる。何だか場違いなところに来てしまったようー、元気なお母さんたちに混じり お父さん方の姿もある…笑顔に笑い声、何だ!? このエネルギーは!私はどんな顔していただろうー 主人の背中にくっついてー。 
 ビギナーのグループでは、先行く家族は明るい、自分の体験談をはっきりと話す。こんな話をこんな風に話している人がいるんだー。 聞いていると自然に涙が流れた。私より大変な家族がここに来ている。家はまだまだ、たいしたことないー。と私は無理にでも「落ち着かなければ」と感じました。
 夕食はみんなで食堂に移動し席に着く。「初めてですか?」と声をかけてくれる隣の人。会話ができ今までの緊張が少し軽くなりました。食事はとても美味しく久しぶりにゆったりと話しながらいただきしました。
 夕食後は参加している家族全員でのミーティング。テーマに添って多くの仲間の話が聞かれる。みんなすごい!! ここだからできる話という感じで話す。
その後、部屋割り表を確認して部屋に入る。広いお風呂に入って、同じ部屋になった方と今までのことを話したり聞かせてもらったり今日のうちに眠れるのかと心配しながらも話ました。
 岩井さんのカウンセリングは、夜中になる事も…大きな声で叱られたり、笑われたり、泣かされたり、何分もない時間に今までに自分のやってきた息子との関わり方に、対応に考えさせられることばかりでした。
 翌日は、美味しく朝食をいただき、観音様をお参りし、勉強会が始まります。ダルクの用意してくれるコーヒーがしっかり目を覚まさせてくれました。美味しかったです。
 あまびきで沢山の家族と出会い、余計に抱えた荷物を降ろすことを教えてもらい、新たに学んでいかなければならないことを手荷物に帰りました。とても大切な思い出です。福祉センターあまびきで出会えた沢山の家族は私の宝物です。茨城家族会のみなさま、福祉センターのみなさま、ダルクのみなさま、長い間ありがとうございました。
新潟家族会 小西美代子









             
 あまびきに関する思い出、懐かしい写真等ございましたら、ぜひ、家族会事務局までお寄せください。皆で思い出を共有したいと思います。

《薬家連 家族会 事務局 メールアドレス》
      jimukyoku@yakkaren.com