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家族の体験談 ナコさん


娘の幸せを祈って

 約1年前(平成16年2月)、ダルクの中で自殺未遂、次は逃亡。安定しない我が娘(依存者)に、私は必死で対応し、助けるため、そして自分も楽になるため、色々な家族会、ナラノン、フォーラム、他の会へ、時間、資金、体力の続く限り通い始めた。自然に、棚卸やメッセージも半分強制的にやり始めた。週に40〜50時間のかなりキツメな勤務(仕事依存か?)。途中、めまい発作で2回倒れながら、睡眠不足でボーっとしながら、娘に何かある度に、不安定になり苦しくて、仕方のない私は、行き続けるしかなかった。自分を変えなくては何も変わらない。足で稼ぐとか何とか言っているのを聞き、とにかくやってみた。…その結果、私にはとてもたくさんの仲間が出来た。「私は一人じゃない」そう思えるようになった。
 あまびきの家族会には、一度の出席で行きたがらない夫も、各地の家族会にはその後2回ほど同行してくれて、私は何の観光もしないのに、生き返りの車中、宿泊(たとえビジネスホテルでも)も、ちょっと新婚旅行のようで、夫婦2人でいられることが幸せでした。 夫は1年前、娘が逃げた時は「未成年なので引き取る義務がある(正論)」と言い、夫婦の足並みは揃わなかった。だが、今回の年末年始の娘の騒動では、二人の気持ちはひとつになって対処をしてくれた。私はとても助かり、うれしかった。
 年末年始の娘の騒動とは、札幌マック(女性のアルコール依存症者の施設)に、昨年夏よりお世話になっていた娘が、よりによって12月31日に再び何度目かの逃亡をした。「今回は、絶対にマックにもダルクにも戻らない(自分で暮らしたい?)」との旨、保護観察官より連絡があった。正直、また私は現実に脅え、不安も出てきた。とりあえず、三が日明けに処遇が決まることとなった。1月4日、保護観察官よりの電話があり、夫が
「うちは何も出来ない。」
と突き放し、対応してくれた。ダルクからも連絡を取っていただいたが、本人は完全に拒否。話に応じようともしない。仕方なく、保護司経営の旅館の一室で暮らすことに決定。私たちは何の補助も手助けも行わないように務めた。内心「私はなんて冷たい親と思われているだろう」と少し思ったりした。翌日、私は朝、夫を仕事に送った後、何ヶ月かぶりの平日の休みのため(仕事だったらよかったのに)、珍しく在宅していた。保護司より、娘の住所などを知らせる電話が来ることになっていたため、その連絡を待っていた。すると、「どうしたんだろう。胸が苦しい。息がしづらい。不安・不安・不安…。もし、家に帰したいと言われたら、どう対応したらいいのだろう。普通は17歳だから…。保護者だから…暮らすべき?そして、もしかしたら本当にアルバイトをして普通に生活できるかも…。そして、その先には元の4人家族の幸せな生活…」等々、先取り不安と妄想。しかし、現実は勝手に逃亡などを繰り返す娘が、ちゃんと生活できるはずはないことはわかっていた。私の頭はぐちゃぐちゃだった。不安の中、苦しくて苦しくて仕方がなかった。そして、私は初めて家族会の仲間に頼り、電話をした。
「明けましておめでとう(本当はめでたくなんかないよ〜っ)。」
「実は苦しいの。助けて……。」
話すうちに、目からも鼻からも液体の洪水となった。仲間には気持ちを全て打ち明けられた。仲間の一言は、
「あんた、バカだね。何も出来ないのに、何かしようと考えるからいけないんだよ。」
私はハッと思った。「そうだ、私は無力なんだ!!それなのに、また何とかしなくちゃ、よい親、大人をしなくてはと、頑張りだしていたから苦しいんだ。ありがとう、本当にありがとう。私を正気に戻してくれて…。」私は、娘や保護観察官などの行政の方への対応を決め、それのみを話し、すぐ電話を切る。または、それが実行出来そうもないときは、とにかく何も話さず切ることにした。
行政用「私は、バカな親で何も出来ないので、昨日の夫と同じ意見で、夫に任せています。子どものことはダルクにお任せしているので、あとはよろしくお願いします。失礼します。」
本人用「私はあなたを愛しています。いつも幸せを願っています。私には何も出来ません。あなたの事は、あなたにお任せします。ダルクなどリハビリのことは助けますが、他は一切補助できません。父も母も協力し、愛し合いながら今日一日を必死で生きています。さようなら。」
しかし、自宅には電話がなく、仕事中の夫へ連絡が入り、夫は本人や行政の方の要望にも、また「援助しない」ということを伝えてくれていました。一人で先取り不安をしていた私の代わりに、対応してくれていた夫。ただ、ただ、感謝しました。
 本人は居場所だけ与えられ、保険証、金銭、何もない状態。保護観察官の方からは、アルバイト契約のための住民票を送って欲しい、キャッシュカードを作ってあげて欲しい、励ましの手紙を送ってあげて欲しい…等々、書状をいただいた。手紙を書きたい、何かをしたいと共依存が目を覚まし、私を苦しめます。先行く仲間に言われた。
「娘さんは遠方で、迷い、苦しみ、親を求め、もっと一緒に苦しんでよ!共依存をしてよ!と親を試しているんだよ。」
その苦しさと闘うために、ナラノン、家族会に行き、その気持ちを吐いた。そして、共依存を封印し、子どもがいつか底をつき、気付いて、また這い上がってくれることだけを祈り、生活した。この時ばかりは平安の祈りを毎日、何度も唱え、そうしていないと心が痛くて壊れてしまいそうだった。
 そして、1月19日。昼中より無言、ワン切り、電話がなり続いた。この着信の番号の先に娘が…。私たちは、そう想像しながら、ずっと待った。保護司より借りた電話なのか、何度もなり続ける電話に出ると、娘(本人)であった。
「家に帰りたい。」
そう言ってきた。泣き声で話す娘に、私は「あーっ!ダメだ!」娘の声を聞いた途端に思いっきり共依存に戻りそうになる。切ない、不憫…。
「少々お待ちください。」
そう言って、私は苦しかったけれど、例の分を確実に読み上げた。そして、
「では、さようなら。」ガチャ。
娘を突き放した音だ。今作りかけていた夕飯が見えなくなり、作れなくなった。辛くて仕方がない。4〜5分後、「これでいい。これでいいんだ。」と必死で自分に納得をさせ、夕飯の支度を続けた。そして、夫と私と息子(本人の弟)と普段の食事風景。娘(本人)のいた椅子には、共依存のため飼い始めたヨークシャーテリアがおこぼれを待ってちょこんと座っている。遠く北の国で、娘は底をついていることだろう。「これでいいんだ。今やらなければ娘も、私たちも永遠に地獄。」究極の選択だった。「抱え込むも、突き放すも地獄なら、ダルクの12ステップと、娘の生きる力を信じ、助かるかもしれない可能性の方に賭けるしかない。子どもを愛し、助かって欲しい、だから突き放すしかない。分かっていても、なんて哀しいんだろう。許して欲しい、無力な親を。私たちはあなたに何もしてあげられない。リハビリの資金以外は。ただ祈ることしか出来ないバカな親です。また、いつか会えるときもあるでしょう。でも、それは神様にお任せしました。神様、どうぞ娘を、私の家族を守ってください。依存者の家族として、逃げることなく生きていきます。私は本当に無力で弱い親です。」今も家族会に向かう車中です。「私は一人では生きられない。すぐ頑張りすぎたり、いい人を演じたり、高慢になったりします。私に気付きをください。自分を変えていかなければ、娘も変わらない。計画通りになんていかない人生だから、娘は娘、私は私で人生を歩んでいかなければ。家族会を心の支えに、そして、人生の勉強の場に。私が成長しなければ…。そして、今日一日、幸せに。」
 1年前の私とは違って、すぐ気付ける私。棚卸しも小学4年生で停止中。仕事でも高慢になったり、夫にもまだ毒を吐くときが、たまにあります。でも、娘のことは20人ぐらいにカミングアウトしたため、楽な場所が増え、自分の欠点も含めて許し、好きになってきました。食べ吐きもせず、普段より明るく元気に、嫌なことがあっても顔に出さず、明日にまわし、鼻歌を口ずさんでいることも多くなりました。大体、私が元気印なので、落ち込んでいると家族への影響はいかばかりです。私に出来るのは、元気に明るくバタバタと、仕事と家族会ばかり行っているお母さんってところかな?ハッハッハッ(笑)。
 今回、残していた娘の思い出いっぱいの日当たりの良く、広い部屋を片付ける決心をしました(弟が使いたいと希望していた)。「もうあなたの暮す部屋はありません。自立してください。生家なので、将来泊まりに来ることは可能です。突き放しと言いながら、一緒に暮らすことを夢見ていた母は、きっぱり気持ちを変えました。「どこにいようと、あなたは私の娘です。私は母親です。愛しています。何があっても生きていて欲しい。あなたの幸せを祈っています。」
その後、娘は自分からダルクに戻りました。先行く仲間の中で、まだゼロからの出発です。
私は、今回のことで、娘も私も何かに守られているように感じました。この感覚が何なのかは分かりませんが、私が実践したのは、ただ「無力」と神様にお任せしただけなのです。
最後に、私はこの一年間、必死で色々なところに顔を出し、メッセージも出来ました。そして、たくさんの方からメッセージをいただき、(水谷先生、義家先生、斉藤先生、末次先生、中村先生、近藤さん。もちろん岩井さんとダルクの仲間、家族会、ナラノンの仲間)各々に出会えたことに本当に感謝しています。この無力な私に何かを変えていく力を与えてくださった様な気がしました。娘も私も曲がりくねった道をつまづき、倒れ、戻ったりしながらも、また立ち上がって歩いていくのでしょう。そんな時、どんなに格好悪くても、みっともなかったり汚く、恥ずかしくても、堂々と生きていく自分になりたい。
 神様、仲間たち、本当にありがとうございます。



全国薬物依存症者家族連合会 2006〜